ひと言でいうと、非営利団体が実施している若者の人材育成プログラムです。
佐藤先生の知り合いの方が運営されていることから、たまたま僕に情報が入ってきて「雪山に行ってみるか?」「はいっ、行きます」とほとんどノリで行くことになったんです。
僕は山登りの経験も知識もないですが、せっかくのチャンス。やらずに後悔するよりは、やって後悔するほうがいいと思うので、とりあえず参加することに決めました。
それはもう、すごい経験でした(笑)。ミッションが書かれた紙を渡されるんです。「目的の山の頂上まで登って、麓のゴール地点に一週間以内に戻ってくること」。それ以外に書いてあるのは、一日何時間以上は睡眠を取りなさいとか基本的なことだけ。最低限の装備と食糧を支給されるのみです。インストラクター2名が同行しますが、よほどのことがないとアドバイスはくれません、そっちに行くと命に関わるので止めてくださいという程度。
僕たち8人のメンバーは、みんな山登り初心者。会ったこともない人たちとチームを組んでゴールをめざすことになったんです。
そうです。インストラクター2名は無線を持っていますが、僕たちは何もないので必ずチームで行動して、寝場所や食事の準備も全部自分たちでやります。もう一つ決められていたのは、毎晩ミーティングをすることでした。
1日目は、ほとんど距離が進みませんでした。新雪しかないところを隊列を組んで進んでいくのですが、先頭の人が雪をかき分けながら道を作っていかないといけない。これが相当体力を奪われる仕事で、体力のある男子何人かでローテーションしていましたが、それでもほとんど進まなかったですね。全身が筋肉痛になりました(笑)。
そうなんです。いくつかの山を越えて頂上に至る行程のなかで、6日目の夜で、頂上までまだ山1つ分を残した状態でした。毎日計画を立てて進んでいたにも関わらず。インストラクターには、まず無理だと言われました。
しかも、その6日目の昼間には、1人がリタイヤして下山したことで、みんなが精神的にも疲れ切っていました。
ショウさんと呼ばれていた中年の男性で、スタート当初から体力的に追いつかない部分がありました。でも、周囲に負担をかけていることをすごく気にして、一生懸命に頑張っておられたんです。すごくやさしい方で、でも最後はどうしても体が動かなくなってしまった。ドクターストップがかかって、ものすごく悔しかったと思います。ショウさんも泣いたし、僕たちも全員泣きました。
そして、そこで全員が下山するか進むかで激しい口論になったんです。
僕は、こうなったのは連帯責任だから、仲間を一人で下ろすくらいなら全員で下りるべきだという意見でした。でも、「きれい事ばかり言うな」と言われました。
このプロジェクトに参加している人たちにはさまざまな動機があって、会社命令だったり、自分を変えるためにやってきた人もいる。疲労が極限まで達しているなかで、どうしてもゴールしたいという思いや、仲間を思う気持ちや、いろんな思いからみんなが本音でぶつかり合ったミーティングでした。
最終的には、ショウさんが僕の背中を思いっきり叩いて「ありがとう。でも、だからこそ行ってほしい」と。「ゴールに先回りして、みんなが帰ってきたときの笑顔が見たい」と言われて、残る7人でゴールを目指すことになったんです。
それまでも、必死で地図を見たり計画を立てていたつもりでしたが、みんな愕然としました。ショウさんともゴールで会おうと約束したのにと。
それで、ほとんどのメンバーが無理かもしれないと思っていたとき、ある女の子が「私は諦めたくない!」と言い出したんですよ。彼女は、ミキティと呼ばれていて僕と同い年でしたが、そんなことを言うような人ではなかった。いつも「私はできない、できない」と言って泣いていたし、僕とはまったく考えた方が逆のタイプで、ずっと喧嘩していたんです。
そのミキティが「もっとちゃんと地図を見ようよ。もっと効率的に動けるはずだよ」と。「一馬がそんな弱音を吐くとは思わなかった」とも言われました(笑)。
そして、7日目の朝。ミキティが一番ハードな先頭を歩き出したんですよ。ショウさんを1人で下ろしたことをまだ引きずっていた僕は「俺は何をしてるんだろう・・・」と。彼女の言動が、間違いなくみんなの意識を変えました。
僕にもよく分かりませんが、これが「腹をくくる」ということかなと思いました。人ってこんなに変わるものなんだと思いました。でも、実は最後の日が最悪のコンディションだったんです。吹雪きですぐ先も見えないくらいで。ミキティもだんだんと足が動かなくなってきて、もういよいよ先頭を歩くのは無理となったんです。
そのとき、僕はほとんど無意識のまま「僕が行きますっ」と声をあげていました。ショウさんを見送ってからの僕は、抜け殻みたいになってずっと後ろを歩いていたので、その言動にまた周囲が驚いたそうです。
僕自身も、そのときに何かが変わったんだと思います。よく限界は自分で作るものだといいますが、僕もそこで腹をくくった。限界だと自分で思っていたものは、自分への甘えでしかなかったんだと思います。そのとき、本当にみんなのためなら死んでもいい。何がなんでも絶対みんなをゴールへ連れて行くんだと、それしか考えていなかったです。
そうですよね(笑)。でもそういうことって時間じゃないんですね。
もうひとり、メンバーのなかで僕が最も尊敬していた男性がいたんです。ミッチーさんという人で、僕よりも少し年上のビジネスマンでした。とても意志が強くて、誰よりも重い荷物を運んで先頭を歩いているのに、一度も弱音を吐かなかった人なんです。
彼からゴールした後で「一馬は、最初きれいごとばっかり言っているその辺の若者と一緒だと思っていたけど、花を咲かせたな」と言ってもらいました。「もがき苦しんで必死に頑張って、今のお前の行動や言葉にはちゃんと魂がこもっているよ」と。嬉しかったです。
はい、制限時間ギリギリでなんとかゴールできました。ショウさんもちゃんと待っていてくれて、最初にミッチーさんが走っていって抱きついて泣きました。みんなも泣きながら抱き合いました。戻ってきてから1年ほど経ちますが、今でも連絡をとりあっています。
周囲からは顔つきが変わったと言われました(笑)。自分でも意識が変わったと思います。帰ってきてから約1年ですが、ずっと頑張りつづけてます。
普通に生活していると、多分あれほど本音で人とぶつかったり、必死になる機会はなかなかないかもしれないですね。生まれてから今まででもっとも濃い一週間、一生懸命のほんとうの意味を学ばせてもらったと7人の仲間、スタッフの方々、そして佐藤先生に心から感謝しています。