そうなんです。3月に通信会社のインターンシップとして1泊2日でお世話になりました。その際に島の皆さんから「この島の魅力は海士町に住む『人』なんだよ。それが海士町最大の観光資源」とお聞きしていたので、今度は島で暮らしてその魅力に触れてみたいと思ったのです。
海士町は、島根県の沖合約60キロに浮かぶ隠岐諸島のうちの1つで、1島1町の小さな島。ほんの数年前までは、高齢化と財政難から存続の危機にさらされていたのですが、町職員や町民の働きかけで活性化されて話題になっている島です。
この5年間で200人ものIターン者(故郷以外の地域に就職する人)が増えたり、「島留学」としてたくさんの高校生が移り住んだりしている。そこまで多くの人を惹きつける島の魅力にもっと触れてみたいと思ったんです。
それと、知らない土地で働くことで、今までの甘い自分を鍛え直したいという思いもありました。
町役場の方から名刺をいただいていたので、そこにメールで滞在のお願いを出したんです。ただ、それを送るまでに、5回くらいは書き直しました。佐藤先生に「抽象的なことではなく、自分がどうしても行きたいという熱意を伝えなさい」と、何回もダメだしをくらって(笑)。
それで「1ヵ月の宿と食事だけ用意していただければ、何でもやります」という主旨の手紙を送ったんです。あとで、町役場の方に「そんなこと言ってきたのは、お前だけだよ」と笑われましたが、あの添削があったからこそ受け入れていただけたと思います。
「何でもやります!」と言ったので、ほんとうに数え切れないくらいの仕事が次から次へとやってきました(笑)。ビーチの監視員からホテルの皿洗い、客室のエアコン掃除、海底遊覧船のガイド・・・、毎日朝から晩までまでみっちり働きました。
ただ、最初のうちは腐っていた時期もありました。自分のなかで「島の活性化のために大きなことをしたい」なんていう大それた気持ちがあって、それなのに毎日やることといえば、ビーチの監視と清掃。その後は夜までもくもくと皿洗いといった毎日で「自分は何しにきたんだろう」って。
そうなんです(笑)。仕事が終わってから、自転車で真っ暗な道を20分かけて宿まで帰るのですが、自転車を走らせながら「帰りたいなぁ・・」と思ったこともありました。それで佐藤先生に「することないんです」と報告すると、「いっぱいやることあるやろ?気温や風向の観測とか」と言われました。観光協会の方からお叱りを受けたのもその頃でした。「ビーチに花火の燃えかすが残っていた」と苦情電話がかかってきたそうで。
考えてみると、自分は指示待ちをしていただけで、自分から何も見つけようとしていなかった。仕事は自分で動いて見つけるものだということに気づいたんです。
細かなところがどんどん目につくようになりました。ビーチの洗い場の排水溝に砂が溜まっていて円滑に水が排水されていないとか。そんなことを片付けながら2週間のビーチでの仕事を終えると、交流促進課の青山課長から「こんなことやったらどう?」といろいろな話を持ってきてくださるようになりました。海底遊覧船の一日ガイドや、民宿の客室の準備、ホテルの全客室のエアコン掃除など、どれもハードな仕事でしたが、とにかく一生懸命やりました。
観光協会にはもう一人、青山さんという若手のリーダー的存在がいて、まさに自分から動いて仕事を見つけてこなしていく姿をみて尊敬しました。「仕事は待って得られるものではない。自分から探して見つけて行動に移すものだ。」というのを実践しました。一つ一つは小さな仕事でも、お客さまの心には楽しい思い出としてずっと残っていく。仕事ってこういうものなのだと教えていただきました。
ある日、若手の青山さんが課長に「大塚がずっと働きづめなので、休みをあげてください」と言ってくださったそうですが、課長は「試練を与えることも大切。お前はまだ甘い」と逆に叱られたそうです。お二人ともが自分のことを思ってくださっていることに感謝しました。
交流促進課の青山課長は、Iターン者の受け入れも担当されているのですが、誰でもWelcomeというわけではないんです。本人が何をしたいのか?を聞いて、もしやってみて合わないようなら無理だとはっきり伝える。
青山課長は「ワーキングツーリズム(働きながら観光地をより理解してもらう滞在)」を積極的に提案することを考えておられて、「お前の働き方はまさにそれだ。どんどん実践してくれ」と言われました。
どこまで役に立ったかは分かりませんが「海士町のためにどんどん意見を出して」と言われて、僕のアイデアも受け入れてくださいました。僕自身、それまでは自分の意見を口に出せない性格でしたが、このことがきっかけで積極的に発言したり、自分から動けるようになってきました。
そうですね。ある日、島のおばさんが話しかけてきて、「漬け物あげるから家まで取りにおいで」と。でも、一日中仕事で取りにいけなくて、そうすると次の日におばさんがビーチまで持ってきてくれたんですよ。都会では考えられないことですが、宿に帰ると魚とか野菜とかが玄関に置いてあるんです。心からありがたいなと思いました。
ホテルで働いているIターンの男性が「都会には物や娯楽があふれているけど、それが本当に贅沢だろうか?ここには、お金を使わなくても楽しめることがたくさんあるし、自分の時間も大切にできる」と話していたのも印象的でした。他にも、島の人とフットサルしたり、Uターンしている人の島への思いを聞いたり、話し出したらきりがないくらいです。
いやぁ、そうでしょうか(笑)。民宿のおばちゃんに怒られたり、帰り道に自転車で溝に思いっきり突っ込んだり、たくさん失敗もありました。でも、今思い出すのは楽しいことばかり。勇気を出してあの手紙を送ったことで、たくさんのことを経験して学ばせていただきました。
僕は決して優等生ではなくて、1年生のときは単位を落として母親にも心配をかけていましたが、先生方に教えていただきながら、自分を見つけることができた気がしています。失敗したり落ち込んだりしている学生に、僕の経験が勇気を与えられたらいいなと思っています。