HOME > CUBE創設を支えた人たち > 大村 卓也
私が配属されたのが2010年6月。1期生たちが入学して、約1年が経ったころです。
最初に感じたのは、学生たちの個性が濃いなぁーということ(笑)、学生はもちろん、先生や職員みんながワクワクしている感じがありました。私は新卒1年目だったこともあり、自分がいた大学の雰囲気とずい分違うなと。
実際のところ、高校では見つけられなかった何かがここなら得られそうだ、と期待して入学してきた学生も多かったので、余計に盛り上がっていたのでしょうね。ふつうは大学を選ぶときって偏差値がベースになると思うのですが、彼らがCUBEを選んだ理由はそうじゃなかった。ここなら自分が成長できそうだ。成長したいという気持ちが前に出ている感じでしたね。
もちろん、そうです。最初は、まだ一歩を踏み出せないでいる学生がほとんどでしたし、CUBEが第一志望ではなかった学生たちもいましたから。
ただ、消極的だった学生たちも、周囲の友人たちが「社長カバン持ち」とか「上海インターンシップ」「キッザニアインターンシップ」などさまざまな経験をして、戻ってくるとひと回りもふた回りも大きくなっている。そのうえ、また新しいことに挑戦しようと頑張っている。そんな様子を見ているうちに「自分もやってみたい」という気持ちが自然に湧いてきたのだと思います。
学生のなかには、先生のところに「自分を変えたいので、どこか厳しい環境に送り込んでください!」と言いにきたり(笑)。
過酷な雪山登山プロジェクトに出発した学生もいましたし、島根県の海士町役場に「何でもお手伝いしますから、数ヵ月働かせてください」と自ら手紙を書いて、プロジェクト自体を立ち上げた学生もいました。
まず一つは、成長したいと頑張る学生の思いに、しっかり応えてあげられる環境があったこと。
創設時の佐藤学部長は、学生はもちろん、教職員に対しても常に熱い想いを語っていました。CUBEの教育方針や、この方向に進んでいくのだという道筋がはっきりしていた。毎日、事務室に顔を出していろいろな学生の話をしてくれたりする。
普通はそんなことって考えられないことですが、おかげで私たち職員も情報共有できたし、同じ考えをもって学生へのフォローができたのだと思います。
もう一つは、火付け役となる学生たちがいたこと。入試説明会やオープンキャンパスで佐藤先生の「自分の未来は変えられる」というメッセージによって、一部の受験生たちのあいだで最初の火種が起こった。入学試験の前からです。
それで、なんとかCUBEに受かりたいと頑張ってくれて、なかには「年内入試ではだめだったけど、一般入試でやっと合格できた!」という熱烈な学生もいました。
そして入学したら本当に自ら動き出す学生たちがいて、それを最初は眺めているだけだった人たちも、だんだん「私にもできるかも」と思えるようになる。そんな熱い空気が伝搬していくと、どんどん良い雰囲気になっていって、勢いがもう止まらなくなるという感じでした(笑)。
そうですね。チームのキャプテンである学部長が、大方針を掲げる。こういう教育をしたいという軸が明確にあって、職員の私たちも全力で走っていた感じがあります。
とくに佐藤先生の想いの強さ、行動力はいつもすごい。高校訪問に同行したこともありましたが、高校の先生のなかには冷めた方もいらっしゃる。普通ならそこで引いてしまうところですが、そんなこと関係なく熱い想いを伝え続けるんですよ。
なぜフィールドワークが必要なのか、なぜ人の未来は変えられるのかって。私自身も、非常に刺激を受けました。
ほとんどの場合は、一方向的に「先生が教えてあげる」というスタンスですが、佐藤先生の場合はいったん学生の目線で考えてくれているって感じたんですね。学生一人ひとりに対して興味をもって分析して、伸ばし方を考えてくれるというか。これって先生という立場の方がやるのはとても難しいことだと思います。
でも、学生にしたら、一緒になって考えたり学んだりしてくれると、自分も頑張れる気がしてくる。 大きな方向性を示しつつ、一緒に走ってくれる存在というか。それを一人ひとりの学生にむけて行うというのは、どれだけ器が大きいのだろうと思いました。
実をいうと、これは私自身も感じていたことなんです。まあ、私は職員なので失敗ばかりしてはいられない訳ですが(笑)、学生と一緒に教職員も学ぶんだという考え方はとてもありがたかったです。
CUBEには歴史もない上に、普通の大学ではやらないような取り組みが満載なので、参考にできる前例というものがないんです。たとえば、広報業務にしても、どんな内容をどんなふうに作っていくか、一から考えていきました。学生対応の仕事も、岡本キャンパスとは距離もあるので、CUBE自身でほぼ完結しないといけない。
それでも、「学生のためになることは、何でもやる」という大方針があるので、それに向かってベストを尽くすという感じでした。今から思えば、普通の大学職員が経験できないようなことをたくさん経験させてもらいました。
最初にCUBE配属が決まって、上司である石野さんにお会いしたときのことはよく覚えています。
「明日からよろしくお願いします」と挨拶すると、「新人に与える仕事はないから、自分から仕事を奪いに来るように」と言われたんですよ。気持ちが引き締まりました(笑)。
じつは石野さんは、私の高校時代の恩師と共通する部分があるんです。サッカー部でもお世話になった先生ですが、石野さんよりもっと寡黙なかたで、言葉は少ないけれどしっかりと考えを持っている方でした。怒られるとものすごく怖かったのですが、そんなところも似ているかな(笑)。
佐藤先生は、またタイプが違って、和気あいあいと話しながら「なぜ、そう思うの?」「それは、どういうこと?」とどんどん質問しながら考えさせてくれる。今は職場が離れていますが、自分にとって唯一無二の存在、人生のキャプテンだと思っています。
今でも印象に残っているのは、「できるできないじゃない。やるかやらないかだ」という言葉。これは高校の恩師の言葉でもあるのですが、同じフレーズがCUBEでも常に聞こえていました。
そうです。ベターではなくベストでないといけない。広報のパンフレットにこんなことがやりたいと企画を出しても、想いがベースにないとよく却下されました。「おもしろくない」ってバッサリ(笑)。
でも、ぜんぜん凹まなかったです。「あー、また頑張ろう」とまた考え直す。
学生と同じように、私も最初の3年間くらいはがむしゃらに頑張りました。でも、それが苦だとは全然思わなかったんですよ。いつもベストな方法を追求してもがいていました。
はい、誰の許可もとらずに。その後に登場する、佐藤学部長を待たせたまま、10分くらい喋ってしまいました(笑)。内容ははっきり覚えていませんが、自分自身が一歩踏み出さないと何もできないよ、という話を暑苦しく語った気がします。
CUBEという恵まれた環境であっても、受け身でいたら誰も成長できない。ここにはチャンスがたくさん転がっているから、しっかり掴んでほしいと。
あとで佐藤先生から「職員でここまで喋った人は初めてだ」と言われました(笑)。やり過ぎたかなとも思いつつ、少し認められたような気がして嬉しかったことを覚えています。大学職員の仕事はさまざまですが、CUBEの一員としてプラスを生み出すような仕事に参加できたのは幸せでした。
そうですね、厳しかったけど、楽しかった。ここで成長させてもらいました。
卒業生たちとは今でも会うことが多いのですが、やはりCUBEで育ててもらったという感覚をつよく持っているようです。卒業生たちはシンガポールやブラジル、イギリスなど、海外で活躍している人たちも多いんですよ。高校の先生になっている人もいます。
卒業生たちの活躍です。実際に社会に出て、結果を出してくれていることが一番の誇りかな。就職率が何%とかでなく、社会に出てからの評価が高い卒業生が多いのが一番の誇りです。営業成績で1位を獲得した人が何人もいたり、そんな活躍は後輩たちの就職活動にも良い影響を与えています。
学生も、先生も、職員もともに学ぶ。そんな毎日が今の結果につながっているのだと思います。
「未来は変えられる」というあの言葉が、今でも自分の力になっている。CUBEでこれから学ぶ学生たちには、失敗を恐れずにがむしゃらに頑張ってほしいです。