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理事長メッセージ

甲南大学マネジメント創造学部の意義 ― manageとは努め努めてやり遂げること ―

写真:吉沢 英成

吉沢 英成
甲南学園 理事長(2013年当時)

平生釟三郎(1866-1945)は、東京海上火災保険の中興の祖ともよばれるほど、その立て直し発展に尽力、川崎造船を社長として瀕死状態から再建し、日本製鉄の会長、社長となり経営人脈を官から民へと刷新、合理化によって増産体制をつくりあげた。これらの難事業を「大局の打算を誤らず」やり遂げる一方、有為の青年の育成に努めた。
旧制7年制 甲南高等学校の教育は大正・昭和初期にかけて多くの人物を世に輩出し、日本の近代教育史上の金字塔をうちたてた。平生はとくに「青年を引きつける力」があり、若者の意欲や天分を引き出すことに秀でていた。若者を教え自らも育つことが無上の喜びであるとも語っていた。企業の再生の偉大な経営者であるとともに、青年の魂を育てる教育家でもあった。こういうエピソードもある。平生と親交の篤かった小林一三(阪急電鉄・東宝グループの創業者・1873-1957)は、息子の成長の導きを平生に頼り、託した。平生はそのご子息の大学進学への意欲を引き出し、平生がブラジル訪問の特使となった際にも若い彼を随行させ、世界の舞台を教えた。

小林一三はよく知られているように、住宅開発、百貨店、温泉、遊園地、宝塚歌劇と結びつけて電鉄事業を展開。小林一三の創りあげた壮大なビジネスモデルである。これは東京の私鉄開発の範ともなった。小林は定点観測による市場調査を自ら敢行、東京でも舞台芸術、映画産業を事業経営の軌道にのせ、文化のビジネス化を創造し「夢の事業家」とも評された。
平生も小林も大臣を経験している。平生は文部大臣。小林は商工大臣と国務大臣(戦災復興院総裁)である。しかし両者とも短期しか務めていない。両者とも、混沌とした政局に阻まれ、彼らの先を見通す政策遂行をやり抜く能力を発揮するには至らなかった。

もし彼らの任期が年単位で長期になっていれば、わが国の教育制度も産業政策も変わっていたかもしれない。さらに「もし」がもう一つ許されるとすれば、両者が閣僚として同じ閣内で活躍したなら、両者響き合って昭和10年代の日本の歴史は、軍事中心の窮屈なものから、解放されていたかもしれない。わが国が、厳しい国際関係のなかでcreativeになんとかきりぬけ夢にむかって首尾よくやり遂げる歴史を展開したかもしれない。
数十年を隔てた今日、甲南学園はこれらの「もし」を現実のものとすべく、両者をつなぐゆかりの地の西宮北口で、甲南マネジメント創造学部、甲南CUBE西宮をたちあげた。

この21世紀、多くの「もし」を現実のものとしていこうと努め活動する学生たちの集う甲南CUBEであってほしい。

2013年2月

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