今年の夏休みを利用して、自分を変えるチャレンジをしました。単身、離島(島根県隠岐の島)で1か月インターンシップを行いました。
島根県の沖合60キロに位置する「海士町」(隠岐の島)。海士町には、5年間で200人ものIターン者が定住したり、島にある高校に「島留学」としてたくさんの若者が移り住みます。今年の3月にインターンシップ(通信会社)で訪問した際、みなさんが海士町に住む「人」が海士町最大の観光資源であるとおっしゃっていました。そこで、今度は中から海士町の「人」を見たいと考え、自らを鍛え直す場所として海士町を選びました。
当初、僕は「受諾して頂いて、自分の行動で何か返していけるのだろうか」という不安を感じていました。そこで、佐藤学部長に相談しました。「相手様方の心に響いてもらえる依頼文が書けるかが大事」と佐藤学部長に教わり、それを念頭に置きながら依頼文を書いていきました。結果、自らの思いを文章に乗せて海士町観光協会様にメールを送ることによって、海士町で1か月間、生活をさせていただく運びとなりました。
海士町では、まず2週間、朝9時から17時までビーチで監視員・清掃員として従事することとなりました。仕事内容は海水浴客の安全管理、ビーチのゴミ・海藻拾い、シャワー室の清掃などとてもシンプルなものであり、ビーチでの仕事を始めて1週間が経とうとする頃、仕事に慣れてきて暇を持て余す時間が増えていきました。すると、僕の中に「こんなことをするために夏休みの1か月を費やして来たわけではない」という気持ちが芽生え、精神的に甘い自分が顔を出し始めました。そんな状態が数日続いたある日、仕事のお世話をしていただいた海士町役場交流促進課課長である青山さんにビーチでの仕事についての報告をすると、「仕事がないのなら、一度周りを見て仕事を創り出せ」とお叱りを受けました。そこで、「自分に何ができるのか」を考えました。当時、洗い場の排水溝に砂が溜まっていて、円滑に水が排水されていないことに気づいたため、僕は砂が溜まっている7つの排水溝に手を突っ込み、泥を取り除きました。すると、それまで水が円滑に流れなかったのが、うまく流れるようになり、利用していた海水浴客もさっぱりとして笑顔で帰っていく姿を見ることができるようになりました。
2週間のビーチでの仕事を終えると、毎日青山さんと考えて決めた仕事を行っていきました。例を挙げると、「AMANBOW あまんぼう」という海底遊覧船の一日ガイド、ある民宿の客室の準備、ホテルの全客室のエアコン掃除などです。これらの仕事を与えていただいた理由として、僕は「ビーチでの仕事をやりきったこと」が一番の要因だと考えています。これは、社会に出て働く上でも必要なことだと考えています。自分がやりたいと思っていることを初めからできる訳ではありません。与えられたことをどれだけ全力でやり抜くことができるかで、自分の未来は変わると身をもって感じることができました。
1か月間の経験を経て、最初は難しいと思っていることを行う上で1番大切なことは、「はじめの一歩」を踏み出すことで、あとはどれだけ目の前のものに全力で取り組めるかどうかだということを学びました。とても重い「はじめの一歩」であっても、勇気を振り絞って踏み出せば、未来は開けるということです。この先、「無理だ、不可能だ」と感じる場面があると思いますが、ずっとチャレンジ精神を忘れない人間であり続けたいです。
また、僕がとてもお世話になった海士町観光協会のみなさんは、海士町が本当に好きでもっと知ってほしいという「情熱」を持ち、「工夫」をこらして、知名度向上に全力で取り組まれていました。その姿を見て、僕はとても感銘を受けました。僕自身、将来、海士町で仕事をされているみなさんのように「情熱」と「工夫」で「地域活性化の一端」になりたいと強い思いを抱きました。海士町観光協会様はじめ、海士町で関わったすべての方々に感謝しています。ありがとうございました。
徳島県立徳島北高等学校出身 マネジメントコース3年 大塚拓人
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