私はGW中に東日本大震災のボランティアに参加してきました。
NPO法人日本災害ボランティアネットワーク(NVNAD)のみなさんと他大学生、一般の方、総勢20名の方々と岩手県野田村に向かいました。
バスの窓から見た現地の風景は、山の麓や海がよく見える広大な土地でした。ポツンポツンと丈夫そうな家が残っていました。しかしバスから降りて見てみると、たくさんの家の土台が残っていました。本来はこれだけの家があった訳で、向こうを見通すことが出来ない程の家が建っていたのだと思います。
辺りには、自転車、雑誌やお鍋など生活の痕跡がそこら中に泥にまみれて残っていました。
また進んでいくと、元ある場所から遠く離れたところに線路がねじれて転がり、壊れた船が海からだいぶん離れた場所に横たわっていました。津波の威力がいかにすごかったのかと思うところです。
初日の作業は側溝の泥出しでした。溝の中はびっしりと泥が詰まっており、1m分をかきだすだけでも一苦労でした。というのも、中にはガラスの破片や大量の石ころ、鉄くず等が詰まっているために、簡単にスコップを通すことができません。なかには、現地の人達にとって大切な陶器や食器なども埋まっているので、脇にとりながら丁寧に作業をしました。
その日は暴風警報が発令したほどの強風でした。重油の入った大きなドラム缶が私たちを運んできたバスに直撃してきたほどの勢いで目も開けられず、踏ん張るのがやっとというほどの状態でした。ゴーグルやヘルメットを着用し、作業に取り組みました。
初めて会った者同士にも関わらず、なかなかのチームワークで目標としていた分の泥出しは予定時間よりも早く済みました。しかし、泥の詰まった側溝の距離は果てしなく続きます。まだまだ人手不足を感じました。終わったころは顔も体もボロボロでしたが、達成感があり、非常にやりがいを感じました。
翌日は戸別訪問をしました。阪神淡路大震災の経験を生かして、息の長い支援を続けていきたいと集まった神戸の有志企業から成るエールフロム神戸という支援活動ネットワークから預かったお菓子を持っていきました。回りながら震災のお話を伺ったり、家のお手伝いなどをしました。倉庫の掃除や、家の中に上がった泥かきなどを手伝わせて頂きました。中には話すことを拒まれる方もいらっしゃいましたが、震災のことについてお話を聞かせて頂く事ができました。大変な思いをされたにも関わらず、逆にボランティアをしている私達に気を遣って下さり、温かい心遣いに感謝でした。
車で少し走ったところにある、下安家と言う地域にも戸別訪問に行かせて頂きました。
驚いたのが、下安家に有るものすごい高さの三陸鉄道の鉄橋が、津波が来た為に本来真っ直ぐに走る線路が大きく湾曲にしなっていました。それは津波の高さも勢いも想像を絶する痕跡でした。
また訪問をしていて、印象に残ったお話があります。この下安家には予算の関係で堤防がなかったそうです。そのため、いざという時に備えて、避難訓練をしっかり行っていたそうです。今回の津波で亡くなった方は、お一人いたようですが、「もし堤防が作られていたら、気が緩みもっと多くの方が亡くなっていたと思う。だから堤防がなくて良かった」と話して下さいました。仕事を失い、家が破壊されたにも関わらず、今、生かされている事を感謝されていることに感動しました。戸別訪問でたくさんの方のお話を聞かせて頂きましたが、どの人も、明るくて前向きな印象をもちました。
活動をしたのは実質2日間だけでした。戸別訪問ではどの様に話せばよいのか、最後までわからないままでしたし、私の活動に意味はあったのかと考えたりもしましたが、笑顔で「遠くから来てくれてありがとう」とおっしゃって下さった方や、涙を流して体験談を語って下さった人達を思い返すと、実際に顔を合わせて、傍で話しを聞くというそれだけでも役立てたのかと思います。まだまだボランティアにはやれることがたくさんあり、必要とされていると思います。だから私にできることは機会があれば継続的にボランティアに参加することはもちろんのこと、この経験を周りの友達にも話すなどして、仲間を増やしていくことではないかと思います。
今回、たくさんの素敵な人達と出会い良き経験をしました。ボランティアに参加したから、野田村を訪問し、接点のない住民の方々とお話することができました。野田村に対する親近感のようなものを感じ、遠く離れていても、被災地のことを考えたり、心配するようになりました。またこの活動を通して他大学生とも、交流をもつことができました。楽しかったというと語弊があるかもしれませんが、再度参加しようと思えるのは、素晴らしいし活動メンバーとの出会いもあったからかも知れません。
この活動で私の中の新しい世界が一つ増えたことも合わせて、ボランティアに参加して心から良かったと思います。
<県立芦屋高校出身 林 てるみ>
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